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メアリー・スチュアートその2(ヘンリー8世の姉の孫娘) [ヒロインたちの16世紀 The Heroines]

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           ヘンリー・ダーンリーと弟トーマス
           ハンス・イワース作/王室コレクション
 
 (あのヘンリー・ダーンリーとか?)
 エリザベスはその知らせを聞いて眉をしかめた。ダーンリーは軽薄な青年であったが、メアリーの従兄弟に当たり、英国の王位継承権を持っている。
 (なんと!これでますますあの女がつけあがるではないか!)
 英国王位を窺う敵が、一人から二人に増えてしまったのだ。

 ダーンリ-が「逆玉」狙いでメアリーを誘惑したのは見え見えだったので、議会や国民、側近達ですら、この結婚に反対した。特にマリ伯は、嫉妬もあって口論になるほど激しく反対した。
 エリザベスは、ダーンリーと結婚するなら国境線を侵犯する、と脅迫した。
 それでもメアリーは、この青年のわざとらしい誘惑やわがままが、愛らしくてならなかった。

 1565年7月29日、メアリーはダーンリーと結婚する。
 そして書類には、「女王メアリー」の名の横に「国王ヘンリー」と署名が並ぶこととなった。
 (してやったり!)
 ほくそ笑むダーンリーとは対照的に、マリ伯の怒りはおさまらず、結婚式にさえ姿を見せなかった。
それどころか、英国からの支援を受け、クーデターを起こしたのである。しかしあっという間に蹴散らされ、マリ伯は英国へと亡命した。

 (目障りだったマリ伯を追い出した。これで俺の天下だ!)
とばかり、ダーンリーのわがままは加速した。気に入らなければ大貴族だって殴る、剣を振り回す、政治を放ったらかしにして遊び回る、泥酔して暴れる。 殴り合い、絶叫、レイプのような夫婦生活。
 二人の関係はわずか半年で破滅を迎えた。にもかかわらず、メアリーは妊娠していた。最悪だった。

 「もう近寄らないで!触らないでちょうだい!」
 「なんでだよ。俺はおまえの亭主だぞ?この国の王なんだぞ?。」
 酒臭い息を吐きながら、ダーンリーはメアリーを押し倒した。
 「私、妊娠しているのよ。」
 メアリーは顔をそむけながら呟いた。
 「どうせ俺の子じゃないんだろ?誰の子なんだよ、おい。」
 アル中でいかれたダーンリーの頭には、メアリーのお腹の子が側近リッチオの子のような気がしてならない、
 いや、真実自分の子だったとしても、息子ならライバルになりうる。
 (みんな殺してやる!)

 妄想は妄想だけでは留まらなかった。ある晩餐会の席上、呼ばれていなかったダーンリーは、側近を引き連れて乱入する。
 マリ伯にそそのかされた大貴族たちに煽られた結果であった。
 ダーンリーはメアリーの目の前でリッチオを惨殺し、ついでに 妻にまで銃口を向けさせたのだ。
 だが、メアリーはもう取り乱さなかった。二人きりになった時、メアリーはそっと夫に手を差しのべる。
 「鎮まってちょうだい、お願い・・・あなたはだまされているのよ。
  私とお腹の子供を殺して、その後あなたも無事で済むと思っているの?」
 実際仲間と称する大貴族たちは、マリ伯とともに権力を奪取するつもりでダーンリーを利用しただけなのだ。
 彼がメアリーを始末すれば、今度は、彼が消されるだろう。

 さっそく勝利にほくそ笑むマリ伯が帰って来た。
 メアリーは異母兄の前で、大げさに苦しんで今にも流産すると騒いだ。
 周囲が混乱する中、メアリーはどさくさに紛れて、ダーンリーともどもホーリールード宮殿を脱出、身重の身で50キロの道を馬で疾走した。

 

 それから三か月後の1566年6月19日、メアリーはエジンバラで出産した。
 「俺の子じゃない」とわめいていたダーンリーそっくりの男の子だった。
 後の英国&スコットランド国王、スチュアート王朝開祖のジェームス1世である。
 メアリーは可愛いわが子に頬ずりしながら、ベッドの傍らに立つダーンリーにむかって言った。
 「あの時あなたが私を撃っていた・・・・・・ 今頃あなたはどうなっていたかしら。」
 ダーンリーは俯いて口ごもった。
 「おまえ・・・・・おまえが俺に冷たくしたからだ、俺は悪くない!。」
 そして彼はメアリーの悪口を書いた手紙を諸国に送りつけ、わが子の洗礼式の出席をも拒んだ。

 子供が産まれたことで、一見平和が訪れたかに見えたが、それは一瞬のことだった。
 やがてメアリーの生涯最大の悲劇が訪れたのだった。「ダーンリーの暗殺」である。

 1567年2月10日の深夜。ダーンリーは、病気療養のため、自分の領地であったグラスゴーにいた。しかし別居中だったメアリーの説得により、その世話を 受けるだめにエジンバラに戻って来ていた。そしてメアリーが宮殿へ帰った直後、ダーンリーの寝起きしていた館が何者かによって爆破されたのだった。

 この事件にメアリーが首謀者として関わっていたかどうか、諸説あってはっきりしない。
 メアリーが暗殺に加担した「証拠」といわれるものも存在したが、でっち上げの偽物だった可能性も高い。

 私は個人的には、メアリーは無実であったと思う。マリ伯を含めた大貴族たちにとって、すでに王子が生まれ、摂政として実権が握れるチャンスが巡って来た以上、メアリー夫妻は用済な上に邪魔者だった。
 二人とも、抹殺しようと考えても不自然ではない。

 その陰謀の中心はおそらくマリ伯とボスウェル伯ジェームス・ヘップバーンであったが、直前になって、ボスウェルはメアリーだけは生かす気になった。密かに知らせを受けたメアリーは、自分だけでも助かりたい一心で逃げ出した。そして哀れにも、ダーンリー1人がテロの犠牲になったのだ。
 実はダーンリーは爆発では死ななかった。ガウン一枚で飛び出した彼は、作戦の失敗を知った暗殺者の手で、改めて絞殺されたのである。

 知らせを受けたエリザベスは、あれほど怒っていたにもかかわらず、メアリーにあてて、「すぐに自分が疑われないよう犯人を検挙して、身の潔白を証明しなさい」という忠告の手紙を送っている。そこで形だけ詮議が行われ、ボスウェル伯が怪しいとなったわけだが、何しろほとんどの大貴族が加担している暗殺事件である。
 事態はうやむやのまま流されてしまった。

 しかも悪いことに、ボスウェルは命を助けてやったことを恩に着せ、メアリーを誘惑し、レイプしてしまった。メアリーは泣く泣く身を任せたが、しばらくしてこの男に本気で惚れてしまったのである。
 ジェームスの誕生から、まだ一年もたっていなかった。

 ボスウェルはメアリーと関係してから、暴走し始めた。
 同じ年の5月13日、彼は陰謀を目論んだ仲間を裏切ってメアリーと結婚する。この行為に、始めは同情的だった諸国も目を白黒させ、次に激しくメアリーを非難した。
 裏切られた大貴族達は、ダーンリー暗殺の責任を全てボスウェル一人に押し付けて、「王殺しの反逆者」として討伐のため挙兵した。

 メアリーも対抗するために軍を収拾したが、呆れ返った人々はメアリーから離れていった。
 状況は圧倒的に不利だった。ボスウェルはいち早く単身北へ落ち延びた。
 メアリーは本拠地のボスウィック城に立て籠ったが包囲され、男装をして脱出し、ボスウェルの後を追った。
 二人が再会した時、破滅が訪れた。

 徹底的な敗北だった。一時はメアリーを抹殺しようとして、ボスウェルの裏切りによって挫折したマリ伯であったが、ふたを開けてみると、自分の手を汚す必要はなかった。
 メアリーは勝手に破滅してくれた。しかも自分も加担したダーンリー暗殺の罪を、ボスウェル一人に押し付けて。そしてメアリーは湖の孤島ロッフレベン城に幽閉された。
 一月後の7月25日、ついに王位を幼いジェームス王子に譲るとの書類と、マリ伯の摂政任命の書類にサインさせられたのである。
 逃走したボスウェルの人生もまた終わっていた。彼は追われてデンマークまで逃げ、そこで幽閉されて、狂死したという。
 メアリーは最後のチャンスに賭けた。
 数カ月かけて脱出作戦を練った後、ついに1568年5月2日、ロッフェレベンの城を脱出し、ニドリー城まで落ち延びた。

 メアリーは復位のために挙兵した。
 意外にも、メアリーを裏切った大貴族達が、続々と馳せ参じて来て、一大大軍となった。

 この一年で形勢は変わっていた。
 マリ伯の権力に嫉妬した大貴族達が、今度はマリ伯を引きずりおろすために集結したのである。
 これが最後のチャンスだったにもかかわらず、またしても裏切り者が出た。主力部隊だったアーガイル伯が、意図的に遅く到着したのだった。主力を欠いた軍 は、マリ伯側の奇襲を受けて、またたく間に敗走した。その上裏切りに怒った他の部隊が、アーガイル伯軍に襲いかかった。メアリーは自ら戦場に飛び込んで呼 びかけても無駄だった。惨めなまでに、メアリー側は戦死者が続出した。
 ここまでは、メアリーを理解できるし、共感することもできる。
 この後の行動が、何とも理解しかねるところである。

 正常な神経なら、メアリーは恥を忍んでフランスへ亡命し、そこでフランス側を説得して(ついでにスペインも味方に率いれて)マリ伯討伐軍を組織していただろうし、それは成功の確率が高かったに違いない。

 しかしメアリーは自分を「エリザベス以下のひどい女」と罵倒したバチカンのことが忘れられなかったし、自分を罵倒したフランス王室への怨みを忘れていなかった。そんな時、エリザベスだけが、メアリーに忠告し励ましてくれた。その上独身のエリザベスは、いずれメアリーか、ジェームスのどちらかを跡継ぎに指名する可能性があった。
 「英国へ行きましょう!」
 メアリーはそう叫んで、英国ースコットランド国境線を越えた。

 しかし、その後の成り行きを見れば、溯ってこの時点でメアリーの人生は終わっていたのである。
 わずか26歳の若さであった。

                 (つづく)


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