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9日間の女王/ジェーン・グレイ①(ヘンリー8世の妹の孫) [チューダー王朝の国王たち]

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         ジェーン・グレイ/作者不詳/1555~1560 
           ナショナル・ポートレートギャラリー蔵   
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 ブレイドゲート(Bradgate)・・・ロンドンの東、レスターから約8キロ、
小高い丘から谷へと傾斜していくあたりに、グレイ家の所有する館があった。
 
赤いレンガ作りのチューダー王朝風の館は、1537年当時は、まだ新築7年目
であった。
周囲は楡やブナの林で囲まれ、館へと続く丘の斜面には、一面ヒース
が風によいでいた。
テラス式の庭園には、ヨーロッパグミの木や薔薇が茂り、睡蓮
の浮かぶ池には金魚が泳いでいた。
その池で、幼いジェーンはあやうく溺れかけたという。


 グレイ家には3人の娘がいた。
 長女ジェーン(1537年生)次女キャサリン(1540生)三女メアリー(1545生)。
 父はドーセット候(後にサフォーク公)ヘンリー・グレイ。
 母は国王ヘンリー8世の妹メアリーの娘/サフォーク公女フランシスだった。
 1551年、フランシスの実家を継いでいた異母兄が亡くなったため、サフォーク公家
の爵位は、ヘンリー・グレイのものとなった(女性が爵位継承権を持っていた
場合、本人ではなく、夫か息子が爵位を継いだ)このグレイ家、先祖を辿れば、
エドワード4世王妃エリザベス・ウッドビルが、前夫との間にもうけた息子であった。 
 エリザベスの、2度目の結婚=英国王妃となってからで生まれたのが、今の国王
ヘンリー8世の母親エリザベス王女である。
 3姉妹の父母、どちらの系統を辿っても王室とは、深いつながりがあった。
 
女のメアリーは、生まれながら背骨が曲がっている障害があったが、上の二人の
娘は健康だった。

 ジェーンは、英国人にしては小柄で、白い肌には淡いソバカスがあった。
 ジェーンの幼年時代は、ヘンリー8世の娘たちより、ずっと王女らしかったといってもよい。
 何よりも、誰におびやかされることなく、父母の愛に包まれて成長したことは、
女王エリザベスより遥かに恵まれていた。だがその反面、あまりに恵まれた環境が、
ジェーンを現実離れした夢見がちな優等生へと変えていった。

 読み書きなどの教育は、3、4歳の頃から始まっていた。早朝6時のお祈りを済
ませ、パンとエール、肉などの朝食をとった後、夕食までギリシャ語とラテン語の
授業があった。
 夕食が済むと、音楽や読書、ダンスにお裁縫、そして9時には就寝。週に一度は
ハンティングに行くか、近郊の町レスタ-まで出かけて行ったという。

 平和で単調な日々が流れて行った。ジェーンは6歳で聖書を読めるようになり、
7歳でフランス語、イタリア語など4ヶ国語の授業が始まっていた。

 考えてみれば、授業はほとんど語学のみ、後はせいぜい宗教哲学か歴史、体育
(ダンス、乗馬)ぐらいである。単語は違えども、文法的には大した違いも無い。
 語学が達者になるのは道理であった。
 というか、混血社会であるヨーロッパでは、上流階級は必然的にバイリンガル
であった。(もっともフランス王室は18世紀まで、頑ななまでに英語を拒んでいた)

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 1545年、ヘンリー8世が死ぬと、ジェーンと同い年の少年王エドワード6世が即位した。

 

 翌年グレイ夫妻は、宮廷デビューのために、ジェーンをヘンリー8世の第6王妃だ
ったキャサリン・パーの元へ預けた。というのも、キャサリンの再婚相手のトーマス・
シーモアがグレイ家に2000ポンドを支払って、面倒を見させて欲しい、と頼み込んだ
ためである。トーマス・シーモアは少年王の叔父でもあった。グレイ夫妻にとっては、
願ってもない申し出だった。

 
 このトーマスなる男、同時にエリザベス王女(後の女王)も引き取っていたが、孤児
同然という環境につけこんで、手を出したという。エリザベスは、トーマスに抱かれて
いるところを見つかったために、館を追い出されるはめになった。
 ジェーンの場合は両親が健在だったために、さすがに手を出すことはできなかった
が、巧みにグレイ夫妻の耳に、ジェーンと少年王との結婚の可能性を囁いた。
「私には、陛下がジェーン姫以外の方とは結婚なさらない、と保証する勇気がありますよ。」

 1548年8月、トーマス・シーモアと再婚したキャサリン・パー(ヘンリー8世6番目
の王妃)が出産のために死ぬと、なぜかジェーン・グレイが喪主を務めたという。
トーマスは兄サマーセット公との権力闘争に夢中で、妻のことなど頭になかったらしい。

 だが、半年後の1549年3月、兄の手で処刑されてしまった。
 ジェーンは、再び実家のブレイドゲートに戻って来た。
 エリザベスはサマーセット公に憎まれ、しつこくトーマスとの中を詮索されたが、
ジェーンは無事だった。
 ジェーンはよく勉強した。実際、エリザベスの教師だったロジャー・アスカムが絶
句するほど優等生だった。

 だが、その知識には大きな偏りがあった。ジェーンは大切に育てられ過ぎたために、
人間そのものを学ぶ機会がなかった。いかに人の心を読むか、いかに危機に際して対処
するか、現実的な方法を知らな過ぎた。天使のように理想世界をふわふわ漂うだけで、
ふと気付いた時には、陰謀の泥沼に足首を取られていた。にっちもさっちもいかなく
なって、ただ泣くばかりだった。
 エリザベスのように、歯を食いしばって生き残る道を模索するような、強さはなかった。
 もっとも、エリザベスのように弱肉強食に馴れた人間が良いのか悪いのかは、判別
できないが…


                 (つづく)

 


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