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英国の下院議会が面白い!\(^O^)/ [ロンドン歴史お散歩]

面白いんです、英国下院議会。

まず議場。見たことある人も多いだろうけど、議長のいる席とテーブルを挟んで、左右に
向き合って段状の席が並んでいます。向かって左が与党、右が野党、といった具合に分か
れて座ります。
現在議員650名に対して、席は430名分しかありません。そのため、多くの議員が席の後
ろや入り口に立って参加しています。とっても密な状態です。

議会だから、ヤジが飛び交いますよね。日本の国会でも議長を囲んで押し合いになった
り、台湾議会だと殴り合いに跳び蹴りまであったりします。
しかし、ここは700年以上歴史のある、由緒正しき英国議会。
大激論の中でも、いろんなルールがあります。
①勝手に討論してはいけません。
まず最初に議長(ミスター・スピーカー)に発言を求める形で話し始めます。
②相手の名前を呼んではいけません。
お互い指差して非難し合っても「××さん」「○○くん」はダメ。「首相」
「幹事長」といった役職、「××選挙区で選出された議員」または「名誉ある
紳士」「名誉ある淑女」と呼び合います。議長だけは指名する都合上、「××
さんの発言を許します」と名前を呼んでいます。
③議場に甲冑や剣を持ち込んではいけない。
剣を振り回しても当たらないように、与党席と野党席の間は3メートル空いています。

時には殺し合いになるほどの議会、何かの問題が協議される都度ケンケンガクガク、
それを鎮めて話し合いをまとめるのが議長の任務で、その才覚を問われることになり
ます。ここ10年は、保守党出身のバーコウ議長が活躍してきました。
議論が白熱してきて大騒ぎになると、バーコウ議長は、
「オーダー!オーダー!(静粛に、静粛に)」
と大声を上げるわけですが、だんだん叫ぶだけでは収まりがつかなくなり、
「オオオ〜ダアアア〜オオオオオオ〜ダ〜アー」と節をつけているのが微笑ましかった(?)です。彼は在任中1万回以上も「オーダー!」を繰り返したそうです(2019年11月引退)

さて、新しい議長が選出されると、またもや珍妙な儀式が行われます。
新議長を議員が取り囲み、腕をつかんで引きずるようにして議長席に案内します。
なんでかというと、歴史的に議長は議会の代表者として、時の国王と対決する立場に
あったからです。
17世紀のピューリタン革命時には、こんなエピソードが残っています。

逆らう議員達を逮捕しにきたチャールス1世王が「議員達はどこだ!」と詰問すると、
残っていた議長はうやうやしく「陛下、その質問は議会の承認が出ましたなら、喜んで
お答えいたしましょう」と言ったそうです。
国王に憎まれて、政治闘争に巻き込まれ、処刑された議長の数は7人。
「そんな損な役は嫌だ!」と拒否する議員が多かった故事にちなんで、今でも「無理矢理
引きずるようにして」議長席に連行するのが慣わしです。


上段の画像は「引っ立てられる」新議長ホイルさん

下段は下院議場

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歴史を感じますね!


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WINDSOR CASTLE/ウィンザー城 [ロンドン歴史お散歩]

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「さあさあ、おはじめ、妖精たち、ウィンザーの内外をくまなく探して清らかな部屋には幸運をお撒きなさい」(「ウィンザーの陽気な女房たち」第5幕第5場)

 ウィンザー城は、文句なく英国随一の名城だろう。
 何と言っても、現在の王家が「ウィンザー」と名乗っているぐらいなのだから。

 ウィンザーという場所は、もとは湿地が多かった平野を悠然と流れてきたテムズ河が突如として100フィート(1フィート=305ミリ)もの丘陵にぶつかって、大きく迂回する地点であった。
   

 ここに最初に目をつけたのは、英国を征服したノルマンディー系フランス人/ウィリアム征服王だった。ウィリアム王は自分が侵略者という自覚と警戒心を忘れなかった。
「英国人どもが朕(わたし)の隙を狙っておる。ここに要塞を築かねばならない」
 まず丘陵のトップに築山を築いて、武器庫や物見櫓を建て、周囲に木製の柵をめぐらした。 その守りの厳重さたるや、戦国大名の城を思わせる征服者の要塞だった。
 天守閣のラウンド・タワーを支える築山は高さ50フィート、万が一包囲された場合に備えての、最後の拠点たる風格と準備を備えていた。

 ウィリアム征服王が築城した当時、まだ木造の城であった。
 それが石造りの城に改造されたのは、プランタジュネット王朝に入って後のことだ。
 徐々に木造部分が石に置き換えられ、構造もまた王のプライベート住居の「上郭(Upper Ward上屋敷)と家臣たちが出入りする「下郭(Lower Ward)下屋敷」とに分割された。
 これは現在のウィンザー城の構造に受け継がれている。

 この城に、1475年、英国の守護聖人である聖ジョージに捧げる壮麗
な礼拝堂を建造しようと思いたったのは、ヨーク王朝のエドワード4世だった。
 残念ながら、エドワード4世の生存中には完成せず、建設は次代のチューダー王朝に持ち越された。

 チューダー王朝に入り、城の建造を続行した初代王ヘンリー7世がここに葬られるはずだったが、本人がウェストミンスター大聖堂への埋葬を希望したために工事は遅延し、結局完成したのは1528年、次男のヘンリー8世の時代になってからだった。建築が終わらないうちに葬られたのはヘンリー6世(1471年死亡、1484年改葬)に続いてヘンリー8世の祖父のエドワード4世(1483年埋葬)と、祖母のエリザベス・ウッドヴィル王妃(1492年埋葬)だった。
 そのため、ヘンリー8世自らもそこで永久(とわ)の眠りにつくことを希望した。
 直接の原因は、1537年11月12日、王子を出産したばかりの愛妻ジェーン・シーモアを葬っていたからだった。ジェーンを「鳳凰」と呼んで、その死を嘆く墓碑銘は、今でも見ることができる。ジェーンは、ヘンリー8世が6人いた妻の中で、最も愛した穏やかで聡明な王妃だった

 ヘンリー8世の次女・エリザベス1世もまた、この城が気に入っていた。
 父が作った木造テラスを頑丈な石造りに改築し、そこで1人黙考することを好んだ、という。
 シェークスピアはエリザベスのためにここを舞台にした戯曲「ウィンザーの陽気な女房たち」を執筆し、1597年、ガーター勲章の授与式が行われた時、余興として上演された。
 エリザベスはテラスからの眺め、テムズの向こうに広がる丘陵とバッキンガムシャーの美景を愛し、テラスのみならず、テラスを見下ろす部屋(クィーン・エリザベス・ギャラリー)まで建造した。

 スチュアート王朝に入ると、革命で処刑されたチャールス1世の遺体が、わずかな臣下の手によって、ひっそり聖ジョージ礼拝堂に葬られている。
 その息子チャールス2世によって王制が復古すると、彼は従兄弟のルイ14世のベルサイユ宮殿を意識して、1675年から8年の歳月をかけて、ベルサイユ風のバロック建築に大改造した。

 その後断絶したスチュアート王朝の後を継いだハノーヴァー王朝の諸王が、いかにこの城を愛して改築を加えたか、枚挙の暇がない。
 ただビクトリア女王が大変ウィンザーを愛し、その伝統が現在のエリザベス2世にまで引き継がれている、と書くのみである。                                    

 (ヨーク〜チューダー〜王朝スチュアート王朝〜ハノーバー王朝)

 ヨーク王朝エドワード4世====エリザベス・ウッドヴィル王妃
                   |  
ヘンリー7世============ヨークのエリザベス王女
           |     |
       ヘンリー8世  マーガレット
           |     |
       エリザベス1世 ジェームス5世
                 |
         メアリー・スチュアート女王
                 |
            英国王ジェームス1世
              |      |
           エリザベス   チャールス1世
              |      |
           ゾフィー    ジェームス2世
              |
         ハノーバー王朝ジョージ1世
              |
            (数世代はさんで)
                   ビクトリア女王

参考資料/

Tuder History Lara E. Eakins
女王エリザベス(上下)ヒバート 原書房
A Brief History and Burial Information of The Queen's Free
 Chapel of St George in Windsor Castle (commonly known as
St George's Chapel) Yvonne Demoskoff
テムズ河 その歴史と文化 相原幸一 


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