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②薔薇戦争/いがみ合うヨ—ク家とランカスター家 [英国通史]

 

   
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  ②薔薇戦争/いがみ合うヨ—ク家とランカスター家


 皇太子ブラック・プリンスの家系断絶にかわって、エドワード3世の第3王子ゴーントの子、ヘンリー4世が即位した。ランカスター王朝の始まりである。
 ゴーントには他にも側室キャサリン・スウィンフォードに産ませた息子がいて、その血統が後にチューダー王朝につながっていく。

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 一方エドワード3世の次男坊エドマンドの血統が、ヨーク王朝を成立させる。
 このランカスターとヨークこそ、次の戦争である薔薇戦争の主人公である。
 なぜ薔薇かというと、ヨーク家の紋章が白いバラ、ランカスター家の紋章が赤いバラだったというのが一般的な説であるが、実際薔薇の紋章を使っていたのはヨーク家のみであった。

 従兄弟リチャード2世を暗殺してのし上がったヘンリー4世は、天罰なのか、ハンセン氏病に感染して悶死する。その後を継いだヘンリー5世も、フランス王女との間に王子が生まれて半年もたたないうちに、フランスで病死。この王子、ヘンリー6世の母方の祖父が狂気のシャルル6世であった。そのせいかヘンリー6世も心が弱く、ヨーク家のリチャードが王位簒奪のために挙兵した。

 薔薇戦争の始まりである。

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 薔薇戦争の最中にヨーク公リチャードは戦死、その亡骸には紙の王冠を被せられるという侮辱を与えられた。

 あやうく難を逃れたその息子エドワードは、姉の嫁ぎ先のブルゴーニュ公国に身を寄せ、1461年英国にカムバックして力づくで王位を奪い取った。
 ここにエドワード4世が即位し、ヨーク王朝が成立した。

 しかしエドワード4世の治世は決して安定したものではなかった。有力貴族や海外の王家との縁組みをしなかった彼は孤立し、元は平民の未亡人だった王妃エリザベスの一族を重用した事も重なって、次々と重臣や弟達が背いた。
 中でも末の弟のリチャード3世は兄亡き後、兄の子供とエリザベス王妃を追放し、王位を奪った。

 その頃すでに対立していたランカスター家も断絶同然だった。
 エドワード3世の第3王子ゴーントは、嫡子ヘンリー4世の他に、側室キャサリンとの間に4子があり、後顧の憂いを無くすために王位継承権から除外されていた。
 しかし、その末裔であるサマーセット公ジョンは、早世したヘンリー5世の王妃がウェールズ出身の侍従と同棲して産んだ庶子・エドマンド・チューダー(リッチモンド伯)に娘マーガレットを嫁がせる。
 二人の間に生まれたのが、父と同じくリッチモンド伯を名乗った、後のヘンリー7世である。こうして誕生した新興一族チューダー家は、1485年、ボズワースの戦いでチャード3世を戦死させる。
 リッチモンド伯はヘンリー7世として即位し、ここに16世紀を通して英国を支配したチューダー王朝が始まるのであった。
            
 1460年 エイクフィールドの戦いでヨーク公リチャード戦死
 1461年 ヨーク公長男エドワード4世即位(ヨーク王朝)
 1470年 エドワード4世、ランカスター側に敗れてフランスへ亡命
     ヘンリー6世復位
 1471年 エドワード4世復位、幽閉中のヘンリー6世暗殺
 1483年 エドワード4世早世 リチャード3世即位
 1485年 ボズワースの戦いでリチャード3世戦死、ヘンリー7世即位
     (チューダー王朝成立) 


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