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歴代国王(ノルマン王朝からスチュアート王朝まで) [チューダー王朝の国王たち]


 

 ◆ノルマン王朝 ◆

  ウイリアム1世  
(生没年)1027ー1087
(在位)1066ー1087
ノルマン王朝の開祖。
父の従兄弟にあたるエドワード懺悔王の跡を継ぎ、英国を統一する。
封建制度の開始
王妃マチルダ・オブ・フランドル

ウイリアム2世   
(生没年)1060ー1100
(在位)1087ー2100
兄ロバートを押しのけて王位につく
/王妃なし

ヘンリー1世  
(生没年)1068ー1135
(在位)1100ー1135
読書好きでボークラーク(博識)王と呼ばれる
王妃(1)マチルダ・オブ・ スコットランド
王妃(2)アデレード・オブ ルーア

スティーブン 王 
(生没年)1103ー1154
(在位)1135ー1154
ヘンリー1世の甥。 従姉妹のマチルダ と王位を争う。
王妃マチルダ・オブ・ ブローニュ

 ◆プランタジュネット王朝◆

ヘンリー2世 
(生没年)1133ー1189
(在位)1154ー1189
ランタジュネット王朝開祖ウィリアム1世の曾孫。
フランスと戦いブルゴーニュを取得。
王妃エレオノール・ダキテーヌ

リチャード1世 
(生没年)1157ー1199
(在位)1189ー1199
第3回十字軍に参加し、獅子心王の異名を持つ
王妃ベレンガリア・オブ・ナヴァール

ジョン王 
(生没年)1167ー1216
(在位)1199ー1216 
敗戦でフランス領土を失ったため、「失地王」の異名を持つ
貴族の反乱にあい「大憲章マグナカルタ」を承認する
王妃(1)イザベル・オブ・グロスター
王妃(2)イザベル・オブ・ダングレーム

ヘンリー3世 
(生没年)1207ー1272
(在位)1216ー1272
マグナカルタを無視して国民に重税を課し、反乱を招く。
その結果シモン・ド・モンフォールの議会を開催し、それが英国下院の発祥である。
王妃エリナー・オブ・プロバンス

エドワード1世 
(生没年)1239ー1307
(在位)1272ー1307
ウエールズを征服し、皇太子をプリンス・オブ・ウエールズと命名する
王妃(1)エリナ・オブ・カスティリア
王妃(2)マーガレット・オブ・フランス

エドワード2世  
(生没年)1284ー1327
(在位)1307ー1327
国内に反乱が相次ぎ、最期は王妃イザベル・オブ・フランスに暗殺される
王妃イザベル・オブ・フランス

エドワード3世  
(生没年)1312ー137
(在位)1327ー1377
母親がフランス王女だったことからフランス王位を要求し、100年戦争を起こす。
ガーター勲章を作った
王妃フィリッパ・オブ・エノー

リチャード2世  
(生没年)1367ー1400
 (在位)1377ー1399
エドワード3世皇太子ブラック・プリンスの次男。
後に従兄弟の長男ヘンリー・ボリンブロクによって廃位後に暗殺
王妃(1)アン・オブ・ボヘミア
王妃(2)イザベル・オブ・ヴァロア

 ◆ランカスター王朝◆

ヘンリー4世  
(生没年)1387ー1422
 (在位)1413ー1422
リチャード2世を暗殺して王位につく。議会を重視する
王妃(1)メアリー・オブ・ブン
王妃(2)ジョアン・オブ・ナヴァール

ヘンリー5世 
(生没年)1367ー1413
(在位)1399ー1413
100年戦争でフランスに大勝。フランス王女を妃に迎えるが、35歳の若さで病没
王妃キャサリン・オブ・ヴァロア

ヘンリー6世   
(生没年)1421ー1471
(在位)1422ー1461
在位中に発狂し、薔薇戦争が勃発する

 ◆ヨーク王朝◆

エドワード4世  
(生没年)1442ー1483
(在位)1461ー1470
薔薇戦争でランカスター側を破り、ヨーク王朝を創設
王妃エリザベス・ウッドヴィル

エドワード5
(生没年)1470ー1483
(在位) 1483ー1483?
叔父のリチャード3世 により廃位。ロンドン塔に監禁 され、後に行方不明
王妃なし

リチャード3世   
(生没年)1452ー1474
(在位)1483ー1485
ボズワースの戦いで 戦死。ヨーク朝断絶
王妃アン・オブ・ウォーリック

 ◆チューダー王朝◆
ヘンリー7世   
(生没年) 1457ー1509
(在位)1485ー1509
絶対王制の開始。薔薇戦争を終結させ、前王朝の遺児を次々処刑する
王妃エリザベス・オブ・ヨーク

ヘンリー8世     
(生没年)1491ー1547
(在位)1509ー1547
離婚問題からバチカンと対立し、英国国教会を創設。修道院を解体させる
      王妃(1)キャサリン・オブ・アラゴン
王妃(2)アン・ブーリン
  王妃(3)ジェーン・シーモア
   王妃(4)アン・オブ・クレフェ
   王妃(5)キャサリン・ハワード
 王妃(6)キャサリン・パー

エドワード6世          
  (生没年) 1437ー1553
(在位)1447ー1553
英国国教会とプロテスタントの権力強まる
王妃なし

    メアリー1世               
(生没年)1516ー1558
(在位)1553ー1558
親スペイン政策をとってスペイン皇太子フェリペ2世と結婚。
プロテスタントを迫害する
夫スペイン王子フェリペ(後のスペイン王フェリペ2世)

    エリザベス1世     
(生没年)1533ー1603
(在位)1558ー1603
商業を重んじ、経済大国への道を開く。 スペインと戦って破り、インド航路を獲得する。
生涯独身

 ◆ステュアート(スチュアート)王朝◆

    ジェームス1世      
(生没年) 1566ー1625
(在位)1603ー1625
母はスコットランド女王でありながら、長年英国に幽閉され、後に処刑されたメアリー・スチュアート。子供のいないエリザベス女王から後継者に指名され英国王位につく。絶対王制を掲げて議会と対立する
王妃アン・オブ・デンマーク

     チャールス1世      
 (生没年) 1600ー1649
(在位)1625ー1649
王妃アンリエット・マリー・オブ・ブルボン
議会との対立が悪化し、ピューリタン革命となる。議会側に捕らえられて処刑

       チャールス2世      
(生没年) 1630ー1685
(在位)1660ー1685
王妃カテリーナ・オブ・ブラカンザ
王制復古後最初の王。 好色で知られる
      ジェームス2世       
(生没年) 1633ー1701
(在位)1685ー1688
再び議会と対立。カトリックを信仰し、名誉革命が起こった。
英国から追放される

        メアリー2世            
(生没年) 1662ー1694
(在位)1689ー1694
名誉革命によって追放された父ジェームス2世にかわり、嫁ぎ先のオランダから帰国して王位につく。
夫オランニュ(オレンジ)公ウイリアム

      ウィリアム3世        
(生没年) 1650ー1702
(在位)1689ー1702
妻メアリーとともに共同で王位につく。
王妃メアリー2世

          アン女王           
(生没年) 1665ー1714
(在位)1702ー1714
姉の跡を継ぎ、議会と協調する (跡継ぎがいなかったため、断絶)
夫デンマーク王子ジョージ


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