百年戦争と薔薇戦争からチューダー王朝の成立まで
         ①百年戦争



         

 この時代の英国史の特徴は、ダラダラと続く王位継承をめぐる戦争にある。
 まずは英国とフランスの間の「100年戦争」。
 もともと中世フランスは封建領主が寄り集まって各地を支配しており、それ
を束ねる役として国王が存在していたに過ぎない。「象徴として国王」であって
も後世のような絶対君主を想像してはならない。 封建領主は家系の断絶や閨閥
関係から、時に領主がイギリス人だったりする場合もあった。


 そのいい例がアリエノール・ダキテーヌ。アキテーヌ地方の女領主で最初はフラ
ンス王妃だったが、後に結婚を解消して英国王ヘンリー2世と再婚したので、アキテ
ーヌは英国領の一部となった。

 またフランス王位もまた、1453年シャルル4世の死でカぺー朝が断絶し、新たに
ヴァロア王朝が成立したが、時の英国王エドワード3世はシャルル王の甥である事を
理由に、フランスに対して王位継承戦争を起こした。百年戦争である。

 英仏は戦ったり休戦したりと、1339年から1454年まで足かけ115年に渡って反目
していたのである。


 1339年スロイス沖海戦で英軍勝利
 1346年クレシーの戦いで英軍勝利
 1347年カレー占領
 1356年ポワティエの戦いで英軍勝利 フランス王ジャン2世捕虜

 英国側は1415年フランスのアジャンクールでアルマニャック派軍を大破し、庶子
疑惑のあったシャルル6世の皇太子シャルル(後のシャルル7世)を南部フランスへ
放逐し、北部フランスを手中に収めた。

 そんな時現れたジャンヌ・ダルクが「神の名の下に」皇太子の庶子疑惑を払拭さ
せ、フランス王シャルル7世に冊立した。


 以降英国側は何度もの講和を重ねた末、カレー港を残してフランスから撤退する。
 1453年ボルドーの返還によって、英国側は逆転敗北した。


 1415年 アジャンクールの戦い
 1420年 トロワ条約
 1422年 ヘンリー5世早世
 1429年 オルレアン解放 シャルル7世即位
 1436年 パリ解放
 1454年 ボルドー解放


 一方英国では、百年戦争の英雄ブラックプリンス(百年戦争を始めたエドワード
3世の皇太子)が早世したので、その息子のリチャード2世が即位したが暗殺され、
跡継ぎもいないことから、プランタジュネット本家は滅亡する。

  

             (つづく)