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エリザベス・ウッドヴィル(ヘンリー8世の祖母)Elizabeth Woodville [ヒロインたちの16世紀 The Heroines]

 

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            エリザベス・ウッドビル/作者不詳/
            ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵
 
 キャサリン・オブ・ヴァロワが亡くなったその年・・・・
 ヘンリー5世の弟ベッドフォード公の未亡人ジャクリーヌ(またはジャケッタ)もまた、ボディガードの1人だった身分の低い騎士リチャード・ウッドヴィルと密かに通じていた。
 やがて妊娠してしまい、リチャードは高貴な女性を犯した罪で投獄、ジャクリーヌ自身も罰金刑が科せれている。1437年6月6日(または7日)生まれたのが、後に王妃となるエリザベス・ウッドヴィルである。
 
ジャックリーヌとリチャードとの間には、エリザベスの兄アンソニーを含めて、15人もの子供に恵まれている。
 

 父母が美男美女だったせいか、エリザベスは美しかった。
 残された肖像画は、現代人の目から見ても大変な美人である。
 エリザベスは始めヨーク側の貴族と婚約していたが、結局ランカスター側に組みするグレイという騎士と結婚し、トーマスとリチャード2人の男の子をもうけた。
 薔薇戦争が始まるとヨークとランカスターの対立は激しさを増し、グレイはセント・オールバンズの戦いで重傷を負ったところを捕らえられ、なぶり殺しにされてしまった。所領もまた、ヨーク側に没収された。

 勝利したヨーク側から1461年、国王エドワード4世が即位する。
 エドワードはある時ベッドフォード公未亡人ジャクリーヌを訪ねたが、その時母の元に身を寄せていたエリザベスのあまりの美貌に一目惚れしてしまった。そうとも知らないエリザベスは、奪った所領を返して欲しいと訴えた。
 返ってきたのは予想外の答えだった。
「私の愛人になって欲しい」
 相手は亡き夫の仇である。エリザベスは憤慨してこう答えたという。

「私は王妃になるには身分が低すぎますが、愛人になるにはプライドが高すぎます。」
 俗説によれば、エリザベスは狩りの途中にエドワード4世の前に身を投げ出し、没収された所領を返して欲しい、と訴えた、ともいう。

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 20世紀描かれた「エドワード4世の前に出ようとするエリザベス」1999-2000 www.arttoday.com

 その頃若きエドワードにはフランスやスペインから降るような縁談があり、臣下たちが権力拡大を絡めて縁談成立に奔走している最中だった。
 だがエドワードはそれらの動きを無視して、エリザベスに求婚した。
 リスクを負ってまで、自分に恋するエドワードを前に、エリザベスの方も折れた。
 2人は1468年5月1日、母ジャクリーヌだけが見守る中、2人だけで式を挙げた。
 4ヶ月後、正式に王妃になると発表された時、宮廷は大混乱に陥った。
 特にスペインとの縁組みに熱心だった権力者ウオーリック伯の怒りは激しかった。
 しかも悪いことに、エドワードはエリザベスの前夫の息子達や弟を側近に取り立てて、怒りに油を注いでしまった。
 1469年ウオーリック伯は、エドワードのすぐ下の弟ジョージとランカスター側の援助をえて、反旗を翻した。

 エドワードはあっさり負けて捕らえられた。ウオーリック伯も殺すまでは考えておらず、両者は一旦は和解したかに見えた。 しかしランカスター側の逆襲もあって、翌1470年エドワードは、ついに王位を追われてフランスに逃亡した。
 ウオーリック伯は、ランカスター家の皇太子を王位につけることを宣言した。
 その時身重だったエリザベスは、先に生まれていた2人の王子を連れて、ウエストミンスター寺院領に逃れた。
この時、エリザベスを助けて差し入れをしたのは、宮中に出入りしていた肉屋だけだったという。
 
フランスに逃げたエドワードはというと、そこで姉の嫁ぎ先であるブルゴーニュ公の支援を受け、1471年逆襲、ウォーリック伯を戦死させ、ランカスター家の皇太子を処刑した。
 エドワードが王位に返り咲いたとはいいながら、エリザベスの存在はヨーク王家に暗い影を落としていた。 王弟ジョージは反逆罪を理由にロンドン塔に幽閉されて処刑・・・兄を恐れて口には出さないものの、末弟リチャードもまたエリザベスを憎んでいた。
 エリザベスは夫に頼んで、自分の弟を始め、ウッドヴィル一族に大貴族並の爵位を与えたのだ。

 1483年4月、エドワード4世が急死した。
 ついにリチャードの復讐の機会が来たのだ。
 まずエリザベスの弟で、姉のお陰で出世したリヴァーズ伯を急襲して処刑。
 それからエリザベスの生んだ後継者エドワード5世とヨーク公リチャードを捕らえてロンドン塔に幽閉した。
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        ロンドン塔に幽閉されたエドワード5世とヨーク公リチャード
        ポール・ドラロッシュ作/1831年/ルーブル美術館蔵

 
 その後、リチャードは兄エドワードがエリノア・タルボットという女性と先に結婚しており、未だにエリノアが生存しているために、エリザベスが正式の王妃ではなかったと宣言。エリザベスの生んだ12人の子供達の王位継承権を剥奪してしまった。
 それを知ったエリザベスは、復讐を決意する。
 彼女はランカスター側のヘンリー・チューダー(ヘンリー7世)が、娘のエリザベス王女に結婚を申し込んできたのをチャンスだと思った。

 敵側に寝返ったのだ。いや・・それは裏切りとは呼べないかも知れない。
 もともとエリザベスはランカスター側の妻ではなかったのか。
 ボズワースの戦いでヨーク家の王リチャード3世が戦死し、ヨーク王朝が滅びたのを知ったとき、エリザベスは呟いただろう。
「これでよかったのだ・・」と。
 1492年6月7日、おりしも55歳の誕生日の日に、エリザベスは亡くなった。
 皮肉なことに、ヘンリー7世によって叛逆の疑いをかけられ、マーバンジー修道院に幽閉されている最中のことだった。

                 参考資料/
        Womens History By PRIMEDIA Company
        英国王妃物語 森 護著 三省堂選書

 

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