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エドワード6世King Edward 6/小さな独裁者 [チューダー王朝の国王たち]

 
Edward2.JPG
エドワード6世/ホルバイン作1543/NYメトロポリタン美術館蔵
        
      1537年10月12日、ハンプトン宮で誕生
      1547年2月25日、ウェストミンスター寺院にて戴冠
      1553年7月6日、グリニッジ宮にて崩御 享年15歳

エドワードはヘンリー8世にとって、かけがえのない長男であった。
息子を得るためだけに、ヘンリーは3度結婚し、3人目の妻ジェーン・シーモアによって、ようやくエドワードが誕生した。しかし母のジェーンは、出産後12日目に亡くなった。

エドワードは非常に勤勉な少年であった。歴史、地理、宗教、言語を学び、とりわけ地理
と宗教を好んだ。英国、スコットランド、フランスの全ての港の位置と潮の関係、出航に
適した風の条件などに精通していた。
宗教においても聖書をよく暗記し、周囲の影響を受けて熱心なプロテスタントに成長した。

一見幼く愛らしく見えるエドワードであるが、その体内に流れる父や祖父の残忍なる気質
は変えようがなかった。レジナルド・ポールが聞いた話によれば、ある時エドワードは家
庭教師の目の前で、生きているハヤブサを惨殺した、という。
1547年、父のヘンリー8世が死に、自分が新国王となった事を知らされた時、エドワー
ドは異母姉のエリザベスと抱き合って泣いた。

ヘンリー8世の遺言により、摂政サマーセット公を始めとする協議会が、新王エドワー
ド6世が、16歳になるまで補佐することになっていた。
しかしエドワードは14歳で、すでに持ち前の独裁的性格を見せ始めた。
伯父である摂政サマーセット公と、もう1人の叔父トーマス・シーモアが対立した時、
彼はトーマス・シーモアを反逆者として逮捕させた。弟を処刑することに躊躇する摂政
に、エドワードは協議会を通して処刑するよう命じている。
彼が叔父トーマスを憎んだのは、一説によれば、愛犬を射殺されたからだ、という。
後にエドワードは叔父の摂政よりも、ノーサンバーランド公ジョン・ダッドリーを信頼
し、伯父である摂政サマーセット公をも失脚・処刑させた。

異母姉のエリザベスは、一般的には仲の良い異母姉弟、とされているが、エドワードを
弟よりも国王として敬った。エドワードの前ではかならず跪き、手紙には「陛下の慎ま
しい姉にして下僕」と署名した。
2人は一緒に暮らしていた事もあったが、即位の後は完全に離ればなれとなり、会食に
同席するおりには、エリザベスは「5度弟の前に跪き」平伏した、という。
エドワードもまた飾り気のない異母姉を「私の禁欲的なお姉様」とからかって呼んだという。
しかし16歳で、死神が近づいていた。医師は「肺に化膿する腫瘍」があると診断した。
腕や足は異様にふくれあがり、肌は黒ずみ、髪が抜け落ちていった。
激しい咳と痛みの下で、エドワードは2人の異母姉ではなく、自分と同じように熱心なプ
ロテスタントだった遠縁のジェーン・グレイに王位を譲るとして、父の決めた王位継承法
を訂正する遺言状を作らせた。
1553年7月6日、エドワードは祈りの言葉を呟きながら息を引き取った。

             
       参考資料/
The Tudor place  Jorge H. Castelli
女王エリザベス ヒバート 原書房
新版イギリス史 大野真弓 山川出版社
概説イギリス史 青山吉信編 有斐閣選書
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